アパッチ
アパッチ(英:Apache)とは、アメリカ・インディアン部族の総称。
「アパッチ」は、ズニ族の言葉で「アパチェ=敵」を意味する。
アパッチの6つの支族とバンド(部族)
- ベドンコヘ・アパッチ
- チエアヘン・アパッチ
- チヘンネ・アパッチ
オホ・カリエンテ、ホットスプリング・アパッチとも- チョコネン・アパッチ
チリカワ・アパッチ、メスカレロ・アパッチ(ファラオン)、ミンブレノ・アパッチ- ネドニ・アパッチ
- 西アパッチ(コヨテロ・アパッチ)
ホワイトマウンテン・アパッチ、シベキュー、サンカルロス、北トント、南トント、アラバイパアパッチの歴史
もともとアパッチは、南部大平原でバッファローなどを狩る平原部族だったが、コマンチ族の南下によって徐々に南西部へ追いやられ、リパン・アパッチと、カイオワ族と同盟を組んだカイオワ・アパッチのみが平原部に残り、あとの支族は乾燥したアリゾナ州の南東域とメキシコ南西域を移動する略奪部族となった。
カイオワ・アパッチはオクラホマ州、リパンはニューメキシコ州とメキシコ、ヒカリヤはニューメキシコ州とコロラド州、メスカレロはニューメキシコ州とメキシコ、チリカワ(チリカウア)はアリゾナ州のチリカワ山地とニューメキシコ州、西アパッチはアリゾナ州東部を、それぞれ占領していた。伝統的に好戦的で、領土に入りこむ異民族を襲撃した。南西部での彼らの抵抗による入植者数人の死者は、東部では情報操作されて数百人の死者となって大げさに伝えられ、白人達を怖れさせ、残虐な部族として語り継がれている。
また、しばしばメキシコに入り、略奪を繰り返した。メキシコ軍も、深山渓谷に分け入り逃げるアパッチを見ては諦めざるをえなかった。19世紀のアパッチ族に対する記録には、「どう見ても山賊という風情である」と残されている。
彼らは他部族の子供をさらい、サンタフェでメキシコ人や白人相手に奴隷として売りつけた。商談が不成立となり、その場で子供たちの喉笛をナイフで切って殺してしまったという記録が残っている。ヨーロッパからの移民(いわゆる白人)に対しても絶えず、強力で好戦的な部族であり、アパッチの有名な指導者として知られるコチーズ、マンガス・コロラダス、そしてジェロニモなどは、敵対したアメリカ陸軍やメキシコ陸軍から、獰猛な戦士、また熟練した戦略家として知られている。
こうした苛烈(きびしく激しいさま)な戦士集団としては、保留地での生活など退屈極まるものであった。白人のアパッチ掃討戦に、保留地からアパッチ族が斥候として参加したことは、抵抗派のアパッチにとっても理にかなった行為と受け入れられたほどである。
最終的な降伏は1886年で、現在、アパッチはアリゾナ州やニューメキシコ州、オクラホマ州の特別保留地に居住し、その数は5000から6000とされている。
メキシコ国境付近では、1930年代まで一部アパッチによる襲撃があった。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 アパッチ族






